Appetizer


「オタコン、着いたぞ」
 良く眠っているところを起こすのは可哀想だったが、俺は抱き支えていた相棒
の身体をそっと揺すった。
 びくっと肩が震え、隠されていた瞳が露わになる。
 昼の光の中で見た、眼鏡越しではないその瞳は澄んだ榛色で、黙って見詰めて
いると吸い込まれそうになる。
「ほら、眼鏡」
「あ、有難う」
 訝しげに瞳を眇めるので、外しておいた眼鏡を渡してやる。
 瞳の良い俺には解らない悩みだが、オタコンにとって眼鏡があるとないとでは
死活問題に発展する程の重大事だ。
「あ、あれ? 皆は?」
「とっくに車から降りてる。俺達が最後だ」
「ご、ごめん!」
 まだ不自由な身体のくせに焦って降りようとするのを制し、俺はトランクから
用意の車椅子を引っ張り出した。
「スネーク、もう車椅子はいいよ」
 恥ずかしいから、と顔に書いてある。
 俺は相棒を抱き上げかけたまま、耳元で囁いてやった。
「じゃあ俺がこのまま抱いていってやろうか?」
 言外に歩かせるつもりはない事を匂わせてやる。
 案の定、ぴきっと硬直するオタコン。
「どっちでもいいぞ、俺は? むしろ抱いていった方が楽しいしな」
「う……あ、いや……その……凄くお世話になってる身で、こんな事を言うのは
心苦しいんだけど……それは、ちょっと……遠慮したい……かなぁ……」
 俺は苦笑いしながら車椅子に座らせてやった。


 俺達は慰労と療養を兼ね、日本のとある温泉街に来ていた。
 最初は二人だけで行こうとしていたのだが、ついでに皆も連れていってくれと
本部長に泣きつかれ。
 結局メンバーは俺、オタコン、クランツ夫人以下、本部詰めの女子職員が数人、
そして護衛としてビリーが同道するという大所帯になってしまった。
 ゆっくりと車椅子を押してホテルへ入れば、一際賑やかに目立っている集団が
いる。言わずと知れた、フィランソロピー御一行だ。
 外国人だという事でただでさえ見られているのに、その賑やかさで更に無用の
人目を惹いている。
 全く……危機感がなさ過ぎるのも考えものだ。
 だが、流石に面の割れている俺達はともかく一見普通の観光客にしか見えない
彼女達が、そう容易く“あの”メンバーだとはバレないだろう――多分。
「ああ、ディヴィッドさん! 部屋割りなんだけどね!!」
 その雄大な体型で辺りを払いながら、クランツ夫人が歩み寄ってくる。
「………」
 無闇と威圧的に感じるのは気のせいだろうか……?
 そもそもこの面子で、それ程突飛な部屋割りができるとも思えないのだが。
「女の子達で大部屋を使って貰ってさ、あんた達とあたしらは小さい部屋二つに
分かれて我慢って事でいいね!?」
「……ああ、任せる」
 まあ、同室になって夫人の小言を食らう破目にならなかっただけでも、よしと
しよう。
 その背後では、早速これからの算段を始めたらしい騒ぎが洩れ聞こえてくる。
 俺はその騒ぎをあとに、車椅子を押していった。


 やれやれ、漸く部屋に落ち着いた。
 担当者の余りにも訛りのきつい英語に聞き取りの不可能を悟り、俺は日本語で
必要事項を聞き出し、チップを渡して早々にお引き取り願った。
 何だか慰労に来たのか、疲労に来たのか解らなくなってきたな。
「そんなごつごつした言語、良く解るね」
 などと、暢気らしくお茶を啜りながらオタコンが言う。
「まあ――こつさえ把握すればお前にも解る筈だぞ」
「君に通訳して貰うからいいよ」
 それは謎掛けか、オタコン?
 俺が片眉を上げたのを見て取ったくせに、澄ましてお茶のおかわりなぞ淹れて
いる。相変わらず、俺を嬉しがらせるのが巧い奴だ。
 元気一杯の女性陣は席を温める暇もなく、露天風呂へ直行したようだ。
 静けさが心地いい。
 俺も風呂は嫌いではないが、ろくに休まず入るのはどうかと思う。
 ……疲れないのか?
「皆、逞しいね……」
 どうやら、相棒も同じ事を考えたらしい。
 全く同感だ。
 俺達は顔を見合わせ、同時に苦笑いした。
 引いてあったカーテンを開け、窓から見える範囲を確認する。
 全室湖に向いているのが売りのホテルだけあって、眺めは最高に良かった。
『ふむ……これなら狙撃の心配もないか……』
 ホテルのぎりぎりまで湖が迫り、対岸は遠く見えない。
 小さな中島が幾つか点在しているが、そこから狙うには角度的にみてもかなり
無理がありそうだ。
 狙撃で思い出した。
「オタコン、お前さん、日中は風呂に入るのは止せ」
「え? 何で?」
 きょとんとするオタコン。
 やはり気がついていないな。
「そんな素敵な飾りのある身体で、風呂場へ現れてみろ。この国は平和ボケして
いるから、ちょっとしたセンセーションを巻き起こすぞ?」
 将に珍獣扱いだな。
 俺の指摘に厭そうに顔を顰める相棒。
「どっちにしろ俺達は目立ち過ぎるからな。夜になったら連れていってやるから、
まあ、それまで我慢してくれ」
「ああ……僕も動物園の珍獣宜しくじろじろ見られるのは、ごめんだな」
 おとなしくしてます。
 と、おどけたように手を広げる相棒。
 その表情のどこにもあの暗い影はない。
 それだけでも、ここに連れてきて良かったと思う。


 夕食までぼんやりと部屋で過ごすのも何だか勿体ない気がして、俺達は湖岸を
散策する事にした。勿論、俺がずっと車椅子を押していくのだが。
「気持ちのいい天気だね」
 僅かな風に癖毛を揺らしながら、目を細めているオタコン。
 いい気分転換になっているようだ。
 湖を二人、何をするでもなく眺めながら、取り留めもない話をする。
 話題はどうしてもメタルギアや、フィランソロピーのこれからに終始するのは
否めない。
 幸い、周囲は見通しの良い開けた湖岸だ。聞き耳を立てているような不届きな
輩は傍にいない。怪しい気配もない。
『……よし』
 そう考えて、苦笑した。
 結局、俺はどこへ行っても何をしても、骨の髄まで傭兵なのかも知れんな……
 頼もしい相棒。
 お前さんがいるから、俺は安心してどんな困難な任務にも赴ける。
 たとえ不利な状況でもその時にできる最善の策を選び取り、俺に的確な指示を
送って寄越す穏やかな声。
 こうして座っているオタコンの旋毛を見ていると、普段は近い目線が懐かしく
なってくる。
『早く正面から同じ目線でお前さんと向き合いたいぞ……俺は』
 目を見交わし、拳をぶつけて。
 抱きしめて、額に、両頬に、そして微笑む唇へ口接けを。
 何度となく繰り返された儀式。
「うん? どうかした、スネーク?」
 俺の視線を感じたのか、ふいにこちらを向き微笑んだオタコン。
「いや……何でもない」
 視線を無理矢理口元からもぎ放し、俺は自分でも些かぎこちないと思う笑みを
刻んだ。
 変なスネーク。と、苦笑に僅か、揺れる肩。
「寒くはないか?」
 答を待たず、俺は相棒の華奢な肩にそっと腕を回した。
「大丈夫だよ」
 口ではそう言いながらも、ほっとしたように身を凭せかけてくる。
 普段の生活に取り紛れ、忘れていた心の余裕というものを思い出させてくれる、
そんな雄大な入り日が辺りを暖かな緋色に染め上げていく。
 俺達は徐々に宵闇が迫ってくる湖の畔で、暫しの静けさを楽しんだ。


 流石に夏の終わりとはいえ、完全に陽が落ちる頃にはかなり冷え込んできた。
 仄かに灯り出した明かりを目印にホテルに戻れば、何やら騒々しい。
 聞けば、今夜湖畔でかなり規模の大きい花火大会があるという。
 その話を温泉から戻ってきた女性陣にすると、時間がないと大騒ぎになった。
 夕食を食べて、しかるべき服に着替えて、更に化粧もするのだ。確かにいくら
時間があっても足りなさそうだ。
 俺の愛すべき相棒はよせばいいのに、
「どうせ暗いんだから、そのままでいいんじゃないのか?」
などとボケた事を言い、全員から針のような視線を向けられていた。
「俺達は遠慮しておく」
 流石にこの有り様ではね、とオタコンも溜息をつく。
「ホテルの窓からでも眺めておくよ」
 そうかい、残念だねぇ。と肩を竦めたクランツ夫人だったが、すぐに気を取り
直したようだ。結局のところ、見にいかないのはあくまで俺達であって、彼女ら
はこれから出かけるのだから。
「じゃ、さっさと御飯を食べてしまおうかね!」
 バイキング形式の、量だけは豊富な夕食をそれでも楽しんで平らげ、酷い混雑
の中を何とかバスに分乗する。
 どの表情も屈託がなく、楽しげにそれぞれの話題に盛り上がっている。普段は
きつい顔をしているところしか見た事のなかった者も、今日ばかりはいい表情を
している。
「それじゃあ留守番頼むよ!」
「僕達の分まで楽しんでくれ」
 いつもと逆だね、と豪快に笑うクランツ夫人に率いられ、皆は花火見物に出発
していった。
 これで暫くは誰にも邪魔されずに大事な相棒と過ごせるな、と思った事は心に しまっておこう。


「スネーク、ビール飲む?」
 部屋に戻れば、早速いつものように酒を用意してくれようとするオタコン。
「いいから座ってろ」
 俺は慌てて相棒の身体を抱き上げ、窓際に設えられたソファに腰かけさせた。
「いや、もうそんな大袈裟にしなくても――」
 子供のように抱き上げられるのが恥ずかしいのか、それともいつまでも怪我人
扱いされるのが厭なのか、またもそんな事を言って俺を困らせる。
「あのな、オタコン」
 俺は小さく溜息をつくと、慎重に肩の傷に触れた。可哀想だが、早く解らせる
にはこの方がいい。
 俺は指先に極僅か、力を加えた。
「――っ!!」
 一瞬眉根が顰められ、それから酷くばつが悪そうに俺を見上げる。
「どこが大袈裟だって? ん?」
「……いや、でもね」
「俺が迷惑していると思うか?」
「………」
 無言なのは肯定の証。
 俺はいつもお前さんに助けられている。これくらい恩返しにもならないのだが。
 そう言葉で言っても、納得してくれそうにないな――これは。
「そう思うなら、ちょっとは協力しろ」
 ここで茶化してはいけない。
 俺は真剣な顔で座らせた相棒の前に膝を突いた。
「きょ、協力って?」
「何、簡単な事だ」
 俺が正面に陣取っているので、未だ本調子ではないオタコンは逃げ場がない。
 視線が俺の瞳にぴたりと合わされ、そのまま僅かに下降する。
 相変わらず解りやすいな、お前さんは。
 今思った事を実行してやろうか?
「完全に怪我が治るまで、俺の言う事には絶対服従だ」
 その返答を聞く前に、優しく自由を奪う。
 微かに聞こえるのは穏やかな波音、涼やかな風の
 閉じた瞳の裏に感じる互いの体温、触れる拍動。
 ――待ちわびていたのは、一体どちらだったのか。


「スネーク、君ね」
「何だ……」
 花火見物の客が戻ってくる前にさっさと湯を使ってしまおうと、俺達は温泉に
浸かっていた。
 いや、より正確にいうなら普通に入浴しているのは俺だけだ。
「いくら傷口を湯に浸けちゃいけないからって、これはないんじゃないか?」
「合理的だろう? 幸い、誰もいない事だし、どこからも文句は出んだろう」
 銃創に触れないよう、ほんのり硫黄の匂いのする湯を抱き支えた相棒の両肩に
かけてやる。左脚の傷は、流石に大腿部だったので持ち上げる訳にもいかず――
俺としてはそれでも良かったのだがオタコンが最後まで抵抗したので――傷口を
きっちりと保護シートに包んでおく。
「いや、だからって何も抱きかかえて入浴しなくても――」
「何を言っている。まだ脚に力を入れられんだろう? 俺が手を離したら絶対に
転ぶぞ?」
 背後から相棒の表情を窺うと、言葉程は厭がっているようでもない。
 気持ち良さそうに瞳を細め、微笑みらしきものも浮かべていた。
 全く、お前さんは照れ隠しのつもりなのかも知れんが……毎回毎回、その言葉
に一喜一憂する俺の気持ちを少しは考えた事があるのか?
 抱き直すふりをして、その髪にそっと額を押しつける。
 いつもは柔らかな猫っ毛がしっとりと濡れて、何というか――いい匂いがする。
男相手に、いい匂いというのもおかしなものだが。
 暫くは湯の流れる音だけが反響する。
「あ、今何か聴こえなかった?」
 急に身動ぎした相棒が、楽しげに振り返る。
 まるで子供のような笑顔。
 お前さん、それは反則だろう?
 耳を澄ませても暫くは何の物音もしなかったが、やがてそれが炸裂玉の破裂音
だと判る。
「そろそろ花火が始まるようだな」
 折角だから見ておくか。
 目で問うと、また嬉しそうに微笑む。
 その微笑みにどれだけの力があるのか、全く解っていない。
 知らずに惜し気もなくこぼされるその笑みは恐ろしい程の誘惑の武器となり、
忍耐を磨り減らす。
 俺も大概気の長い方だとは思っていたが、この男と一緒にいると限界に挑んで
いるような気分になるのは、決して気のせいなどではない筈だ。
 早く花火が見たいのだろう。
 入る時には一悶着あった抱き上げも、今度は己から率先して俺の腕に収まりに
くる。青白かった肌も温められてあえかな薄紅を刷き、密着した事で肌から薫る
香気は弥が上にも鼻をくすぐり。
『また忍耐が試されるな……』
 俺はこっそりと溜息をついた。


 部屋に戻ってカーテンを開ければ、中空に光の彩が広がるところだった。
 少々小振りの感は否めないが、人込みに揉まれているよりゆっくり見物できる
代償だと思えば安いものだ。
 湯冷めしないようしっかり敷布で包んでやり、うしろから抱きしめてもハルは
抵抗しなかった。
 触れ合った腕と腕が、背中と胸元が、脚と脚とが、何ともいえず気持がいい。
互いの体温が運ぶ幸福という名の快感をこれ程までに感じたのは、もしかすると
初めてかも知れない。
 余りに気持が良過ぎて……眠ってしまいそうだ。
 煌めきながら夏の宵をはふり落ちる光の雫。
 夜風に乗り、微かな歓声が聞こえてくる。大掛かりな仕掛け花火でも始まった
らしい。生憎ここからでは見えない。
 その代わり、天には細かな光の乱舞が次々に上がっていく。
 その内、轟音と共に花火とは思えない程、巨大な火柱が上がった。
「うわっ」
 その直前まで上がっていた金砂のような花火を見上げていたオタコンは、真剣
びっくりしたらしい。引きつったように揺れる肩に、俺はそっと唇を落とした。
静かに心臓の辺りに掌を当てると、どきどきしているのが感じられる。
「そんなに驚いたのか?」
「ふ、普通驚くだろう!」
 嘘つきめ。
 返答が早過ぎだ。おまけに少し上ずっているぞ?
 本当は、何に驚いたんだ、ハル?
 もう一度火柱が噴き上がる。
 今度は首筋に口接け。
「………」
 心拍数がまた跳ね上がる。
 もどかしげに上がった左手が、鼓動を聴いている俺の手に添えられた。
 もう、花火は意識から消えたか?
 お前さんの中に、俺はいつも存在しているか?
「ディヴ――」
 怖ず怖ずと振り返った相棒の瞳に吸い寄せられるように抱擁を深くした俺は、
彼の望むままに――そして、勿論俺の望みでもある――その額に、頬に、そして
唇にゆっくりと触れていった。




 明くる日も遼かな蒼天に刷毛で撫でたような薄い雲が少しだけ棚引いている、
爽やかな天気だった。
 俺は車椅子を押しながらふと空を見上げた。気のせいなのか、昨日よりも秋の
気配が色濃くなってきているような印象がする。
 あと一月程で、この地には長い冬が訪れる――アラスカ程ではないにせよ。
「みんな、忘れ物はないね!?」
 クランツ夫人のテキパキとした指示で、次々に荷物が車に載せられていく。
 いつか……あの場所へ還る事ができるだろうか。全てが終ったら――或いは、
後事を託せる者に全てを預けて。
 あの厳しく懐かしい、凍気の支配する遼遠な大地へ――いつか、二人で。


 そんな日は永遠に来ない。
 それは解っている。
 人が存続する限り、諍いはなくならない。
 だが、望む事は誰にでもできる筈だ。
 俺達は、そのために努力する事も厭わない。
 だから、きっと、いつか望みは叶う筈だと信じる。


「さ、あとはアンタ達だけだよ! さっさと乗り込んじまってくれ!!」
 俺はビリーに車椅子の片付けを頼むと、この世で一番重要で大切な、軽過ぎる
相棒の身体を抱き上げた――





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