Ave Maria


 全身にいやという程冷水を浴びせかけられ、僕は気絶という束の間の安息から
引きずり戻された。
「ぅ……」
 鼻や口に入った水を吐き出す事もできないまま、弱々しくむせる。
 水の冷たさも然る事ながら、これまで執拗に苛まれてきた無数の小さな傷に、
それは酷く沁みた。
 朦朧とした意識と霞む視界の中で見た景色は、先刻と何も変わっていない。
 無表情に武器を構え、揃いの軍服を着た何人かの‘実行部隊’。
 楽しげに哂う、白髯を蓄えた初老の‘その道のプロ’。
 そして一番年下だが、間違いなくこの場を取り仕切っている‘リーダー’。
『スネーク……』
 苦しい呼吸の下から、僕は頼もしい相棒の姿を思い浮かべる。
 挫けそうになる度に“不可能を可能にする男”とまで言われた彼の表情を心に
刻み、ともすれば過剰な責め苛みに屈しそうになる脆弱な肉体を叱咤して。
 周囲には常に気を配れとあれだけ口煩く言われていたのに、すぐそこだからと
いう慢心から、現在のこの状態は引き起こされた。
 刹那の出来事だった。
 口元に薬品を滲み込ませた布を押し当てられ、朦朧としたまま運ばれていく。
その時に嗅いだ、都会とは違った涼やかな大気の香りに、自分が随分と遠くまで
連れ去られた事を知る。
 次に意識がはっきりとした時には既に両手両足は拘束され、着ている物は全て
剥ぎ取られ、どことも知れぬ廃屋の冷たい床に転がされていたのだ。
 武装した相手が、無防備に素肌を曝して倒れている自分の傍に威圧的に立って
いる、というだけでも充分な精神的苦痛になる。
 満足に身じろぐ事もできない。
 そんな中、いつ果てるとも知れない狂宴の時間が始まったのだ。


「どうです……話す気になりましたか」
 何度目かの問いが‘リーダー’から発せられる。
 声を荒げる事もなく、淡々とした物言いだ。
「あの男は、どこです」
 僕をじっと見詰める、その視線の強さだけが感じられた。
『スネーク!!』
 全身が酷く重かった。
 また挫けそうになる。
 もし、ここで僕が彼の居場所を言ったとしても、こいつらがあの“伝説の傭兵”
に勝てるとは到底思えない。我慢するだけ、僕の苦痛が増すだけだ。
 恐ろしい誘惑。
 白状してしまえ、もう楽になりたいと、心のどこかで叫ぶ僕がいる。
 しかし、もう一人の僕が更に倍する声で叫び返す。
 ヤメロ! 話してしまえば、お前は彼を裏切る事になるんだぞ。
 それに、口を割れば僕は用なし、殺されるに決まっている。
「………」
 内心の激しい葛藤は、今度もまた何とか沈黙を守る方が勝ちを収めた。
‘リーダー’は、僕が口を引き結んだままなのを何秒かじっと見詰め。
 そして、どうやら僅かに肩を竦めたようだった。霞む視界では、はっきりとは
見えなかったけれども。
「心は変わらないですか……答えればこの苦痛から解放される、と判っていても」
「………」
 スネーク、僕に力を貸してくれ。挫けないだけの力を――!
 奥歯を噛み締める。余計な事を言えないように。
「――そうですか。残念ですよ、エメリッヒ博士。貴方のような逸材を失う事に
なるとは」
「……っ!」
 その言葉に、僕はいよいよ来るべきものが来た事を悟る。
 拷問は何も殴る蹴るだけのものではない。過度の暴力は、やがて痛覚と意志を
麻痺させ、酷い時にはショック症状を起こし、簡単に相手を死に至らしめる。
 僕も最初は腹や顔を数発殴られ、ナイフで全身を浅く切り裂かれた。
 だが、どうにも口を割りそうにないと見ると、拍子抜けする程あっさりと肉体
に加える暴力は取りやめられた。
 その後はずっと精神的な拷問に終始している。
 とても口にはできない、悍ましい事もされた。
 でも、僕は耐え抜いた。自分の意識を現実から切り離し、ひたすらスネークの
一挙手一投足を思い返す事で。
 頼もしい笑み。
 潜入時の、きりっと引き締まった横顔。
 うたた寝。
 咥え煙草で、難しい顔をしている相棒。
 不精髭。
 勁く、時に優しく、抱き締める両の腕。
 ――口接け。
 時々、うっすらと笑っていたらしい。気が狂ったのかと思われ、何度も冷水を
浴びせかけられた。
 そんな時間が延々と繰り返され……
 そして結局、肉体的・精神的暴力が功を奏さないとなると、どうするか。
 それまで青年の横に控えていた初老の男が、これ見よがしに取り出したモノ。
 鈍い光の中で禍々しく光る、手の中に納まってしまうくらいの小さな兇器。
「自白剤……か」
 久し振りに出した声は多少掠れてはいたが、思いの他平静だった。
「正直に言うと、こういった薬物は使いたくなかったのですが……昨今の警察も
優秀ですからね」
 余りに予想通りの展開に、僕は静かに笑った。
 では結局、自白してもしなくても、僕は殺される予定だったらしい。
 薄蒼い液体を満たした注射器を持って、殊更ゆっくりと近付いてくる男。
 僕の代わりに死の証明書へサインした男。
 多分、効き目が早く現れるよう、限界まで強いものが打たれるだろう。
 それを打たれたら最後、運良く生き延びていたとしても僕は誰の事も解らなく
なるだろう――そう、多分スネークの事すらも。
『それはちょっと厭だなぁ……』
 心が、どこかここではないところへ彷徨い出していた。
 絶望と疲労の極みにあり、自力では抵抗すらままならないとなれば、他にどう
しようがあったろう。
『きっと、酷く心配してるだろうな……』
 注射針が、微かな痛みと共に腕に突き刺さる。


『スネーク……』
 僕は瞳を閉じた――


 激しい破砕音。
 空気がざわっと崩れた。
 何人もの怒号が飛び交い、更に何かを破壊する音が続く。
 僕は瞳を開け――そして、視界に飛び込んできたトレードマークのバンダナに
唖然とした。
『スネーク!? どうして??』
 そこには無表情に刃向かう敵を片付けていく“伝説の傭兵”の姿があった。
 普段なら隠密行動をもってよしとする彼が、どうやらスティンガーで壁をぶち
抜いてきたらしく、外まで一直線に道ができている。
 その耀く翠碧の双眸は、彼の心情を余すところなく伝えていた――暗く静かに、
だが深く猛り狂った、戦士の瞳。
 僕の有様を見て、狂瀾の度合いが増したのは想像に難くない。
 鋭く睨めつけた先に佇むのは。
「貴様が黒幕か」
 普段の温かみのある柔らかな声とは似ても似つかぬ、低く酷薄な声がスネーク
の唇から洩れる。ぎりっと奥歯が鳴ったのは、多分聞き間違いじゃない。
「貴方の方から来て頂けるとは……手間が省けましたよ、ソリッド=スネーク」
 一転、立場が入れ替わったというのに、相変わらず余裕の表情を見せる青年。
 僕の腕に針を刺したまま硬直していた男が、僅かに指に力を入れる。
『腹癒せに殺す気か――?』
 動けない僕は、ただ見詰める事しかできない。
 スネークは、ろくにこちらを見ようともしなかった。
 無造作にポイント、引鉄を引く。
 銃弾は狙い過たず、男の額と注射器に命中した。微かな音を立てて管が割れ、
中の液体が飛び散る。と同時に男も声もなくのけぞり、後ろに倒れた時には既に
絶命していた。
 相変わらず、スネークの視線は眼前の青年に据えられたまま。
 銃口が静かに方向を変え、まっすぐに青年の心の臓へ向けられた。
「相棒が世話になったな」
「いえいえ、却って何のお構いもできませんでした」
「お礼をさせて貰おうか」
「結構ですよ……もう、お暇させて頂きますのでね」
 その言葉を聞くなり、スネークは発砲した。
 次の瞬間、驚きの余り銃口がぶれる。
「ふふふ、無駄ですよ。この姿はいってみれば‘影’のようなものですから」
 弾はそこに何もないかのようにすり抜け、背後の壁に浅い銃痕を残していた。
「くそっ! ホログラムか!!」
 これではいくら撃っても意味がない。
「残念ですよスネーク。貴方がもっと素直な方でしたら、彼もここまで苦しまず
に済んだものを」
 そう言って青年はちらりと僕の方へ視線をやった。その眼から僕を隠すように、
立ち位置を変えるスネーク。
 無論、相手はホログラムなのだ。こちらには何の影響も及ぼす事はできないと
解っていても、そうせずにはいられなかったのだろう。
 僕は未だ拘束されたまま、無防備な姿を曝しているのだから。
「ああ――でも、強情なのは同じですね……貴方も、彼も」
 スネークの身体越し、嫌味な程穏やかな言葉が聞こえてくる。頼もしい相棒の
背中に隠されて、その表情までは見えない。
「失せろ……」
 獰猛に唸るスネーク。
「今日のところは従いましょう……いずれ、また」
 スネークの返事はスティンガーの一撃だった。
 もうもうと上がる埃が晴れた時には、既に生あるものの姿はなかった――僕達
以外には。
「………」
 スネークは、暫くはその場を動かなかった。
 銃を構えたまま油断なく辺りを睥睨し、全身を使って様子を探る。漸く安全だ
と確信すると銃を下ろし、急いで僕の傍らに膝を突いた。
「オタコン……」
 手錠の鎖を銃で打ち抜くとそのまま力強い腕に抱き起こされ、僕は久方振りに
強いられたままの姿勢を変える事ができた。四肢はすっかり血の気を失い、全身
に鈍痛が走り、何とも酷い有様だ。
「済まない、スネーク。面倒かけさせて」
「謝るのは俺だ……俺のしがらみに、巻き込んだ――済まなかった」
 重さなど感じていないかのように、スネークは僕を抱き上げた。
 自分で歩けると抗ったが、それも一睨みで封じられる。
「本当は、どんな具合になっているか判らない内に動かしたくはないのだが……」
 スネークは心配そうに僕の表情を見た。
「解ってる、大丈夫だから。僕も早く帰って、のんびりと風呂に入りたいよ」
 抱き上げられた時に僅かに痛みが走ったが、表情には出さずに済ませる。
 外に出れば、これまた久方振りの太陽が眩しい。
 大型のトレーラーが斜めに停まっているのがスネークの肩越しに見え、運転席
からは見知った顔が心配げに突き出されていた。
「エメリッヒ博士……御無事で良かった」
 僕は何とかそれへ微笑みかけた。
「何とか、生きてる、よ」
 スネークは後部座席に置いてあった毛布で僕を包むと、楽な姿勢になるように
そっと座らせ、自分は助手席へ回ろうとした。僕もそのつもりでいた。
 だが――
「………」
 躊躇なく身を翻し、僕の横に身を滑り込ませる相棒。
「いいぞ、出してくれ」
「了解、最速で我が家まで帰りますよ!」
 すかさずギアを入れ替え、素っ飛ぶように発進するトレーラー。
 全身が、にかかったように震えて止まらなかった。
 身体を離された時、どう考えてもそんな筈はないのに、
『置いていかれる!』
 それだけが脳裡に響き渡り、どうしてもスネークの服の裾から指を引き剥がす
事ができなかったのだ。
「ごめん……何だか、どうしたんだろう、僕は」
「気にするな。ついていてやるから、少し眠れ」
 心が騒めいてとても眠るどころではなかったが、スネークの腕に支えられ肩に
頭を凭せかけていると安心する。
 僕は戦慄く唇を噛み締め、瞳を閉じた。


 尾行を撒くために途中で車を乗り換えた僕達は、いくつかある持ち家の一つに
帰ってきた。
「ちょっとじっとしてろ」
 スネークは、素早く僕の身体をあらためた。あちこち打撲や裂傷はあったが、
幸いにして骨折や内臓破裂のような甚大な怪我はなかったらしく、やがてふっと
肩の力を抜いた気配がする。
 だが、全身をくまなく切り苛まれた痕は乾きかけの血糊とみみず腫れに変わり、
見るも無残な事になっていた。
「酷いな……」
 スネークは辛そうに眉を顰めた。
「大した事、ないよ」
 僕は自分でも無理があると思った微笑みを浮かべてみせた。思った通り失敗し、
泣き笑いに近くなる。
「こんな時まで気丈に振舞わなくてもいい」
 そのまま胸の中に抱き寄せられる。
 恐慌、混乱、安堵、そういったものが一度に襲いかかってきて、僕はスネーク
の腕の中で暫く嗚咽を漏らした。
 スネークは僕を抱えたまま風呂の用意をし、自分もさっさと服を脱ぎ捨てると
長く続いた悪夢を洗い落とすかのように、ぬるめのシャワーをゆっくりとかけて
くれた。
「ごめん……何だか、子供みたいだ」
 激情が去ると急に気恥ずかしくなってきて、僕は僅かに身体を離した。
「スネーク……?」
 息が重なった。
 そっと、吐息を絡め取られる。
 そのまま愛撫するように掌が殴られた頬を滑り、首筋から背中に回る。
 無数に奔った小さな傷に触れる度に躊躇うように動きが止まるが、またそっと
触れていく。傷のせいで敏感になっているのか、それともいつもよりその触れ方
が柔らかいせいなのか、無性に身体が震え、泣きたくなる。
「ハル――?」
 何度も何度も名前を呼ばれてその度に双瞳を開ければ、現実にスネークが傍に
いる。責苦を受け続けていた時に想像していた彼の顔より数倍――何といったら
いいのか――優しい表情で。
「ハル……」
 彼の指が順に触れたところから、何とも表現し難い穏やかなエネルギーが流れ
込んでくる。本当にもう大丈夫なのだ、と自分の心にも身体にも納得させられた
ようで、酷く安心する。
 風呂から上がった時も、細かい傷の手当てをして貰う時も僕は半ば夢見心地で、
されるままになっていた。
「………」
 何度目かに瞳を開けば、傷に負担がかからないようにそっと抱き締めた状態で
眠るスネークの横顔が見えた。
『そういえば……ずっとスネークの顔を見ていたような気がする』
 そして、今気付いた――スネークの方でも、ずっと視線を合わせてくれていた
事に。こうして自分を抱き締めている腕が誰のものなのか、幾度も確認しないと
不安だった心を、相棒はちゃんと解っていてくれたらしい。
 また熱いものが込み上げてきて、僕はそっとスネークの肩口に顔を埋めた。


 鼻腔をくすぐる匂いに、僕はふっと目を醒ました。
 隣にスネークの姿はない。
 一瞬パニックになりかけたが、漸く働き出した理性が状況を悟らせた。
 台所から、何かを煮込むいい匂いと鼻歌(!)が聞こえてくる。どうやら一足
先に起き出し、食事の支度をしているらしい。
 ゆっくり身を起こせば傷の具合は昨日より余程ましになっていて、僕をほっと
させた。いつまでも酷い状態が続けば、只でさえ負い目を感じているスネークを
もっと追い詰める事になる。
 辺りを見回せば、枕元に新しい服がきちんと畳んでおいてあって、何だか僕は
笑ってしまった。
 武骨な手で一生懸命洗濯物を畳む伝説の傭兵……駄目だ、爆笑ものだよ。
 笑いながら袖を通していると、気配を察したのか、スネークがやってきた。
「起きたか……」
「うん、もうお腹減っちゃって」
「いい傾向だ」
 嬉しげに笑い、そうしてまた僕を抱え上げる。
「――スネーク! もう平気だってば!!」
「嘘をつくな、嘘を」
 すたすたと台所へ移動しながら、僕の言う事を全然信じていない顔でスネーク。
「嘘なもんか」
「ほう……じゃあ、こういう事をしても大丈夫だと、そういうんだな、お前は?」
「ちょ、あ、危ないって!」
 片腕だけで僕を抱き支え、もう一方の手でいい加減に留めただけだった胸元を
押し開き、強引に唇を寄せる。本気でするつもりがないのはにやにや笑っている
その表情からも瞭らかだ。
「無茶いわないでくれよ、スネーク。昨日まで拉致されていた奴に」
 代わりにその額に、そっと触れる。
 表情も改めて。
「スネーク、君が何を心配しているかは知っている」
「オタコン、俺は――」
 慌てたように口を開いたスネークに、僕は静かに首を振った。
「隠さなくてもいいって。本当は一番先に確認したかったんだろう?」
「俺は……何もそんな事を……」
 丁度到着した食堂の椅子に僕を下ろしながら、更に焦っているスネーク。
 まるで身体だけ心配していたように思われるのが厭なのだろう。君の性格から
いっても、そんな筈ある訳ないのにね。
「誤解はしていない。大丈夫。心配しなくても、そういう意味では僕は全く無事
だったから」
「………」
「あの拷問係はさ、そういうのよりナイフで切り刻む方が好きだったみたいだよ」
「あの野郎……」
 スネークは咽喉の奥で唸った。
「もっと鉛玉をお見舞いしてやるべきだった――死ににくいところに」
 僕はちょっと笑った。
 流石に全てを忘れ去る事はできそうにないけれど、こうやっていつもの生活を
続けていけば、いつかは傷も癒える筈だ。
「それより、何か作ってくれていたんだろう?」
 今度の微笑みは、いつも通りに浮かべられたと思う。
「ああ……取り敢えず、色々とな」
 テーブルに並べられた料理の数々を見て、僕は自分がいかに空きっ腹だったか
に気がついた。
 しかし……
「何、この糊のようなものは?」
「それはお粥だ。赤いのは梅干」
「こっちの茶色いスープは?」
「ワカメの味噌汁だ」
 何だかパンやジャム、スクランブルエッグ、珈琲、オレンジジュースといった
見慣れた朝食の風景の中に、妙な違和感を醸し出すものが……
「……じゃ、これは?」
「煮しめ――まあいいから食べてみろ、ゆっくりな」
 飲まず食わずのあとで、急に沢山詰め込むとどうなるか。スネークも僕も良く
解っている。
 僕は恐る恐る、使い慣れない箸をつけた。
 食材の切り方は流石に乱暴なものだったが薄味で良く煮込んであって、意外に
おいしい。
「へえ……スネークってこういうのも作れるんだ」
「まぁな」
「結構、見かけはあれだけど、おいしいよ」
「‘見かけはあれ’とは、どういう意味だ」
「あははは、ごめん。でもさ、これだよ?」
 笑いながら繋がったままの人参を持ち上げて見せる。
「………」
 スネークはちょっと憮然として珈琲を流し込んだ。
 次の瞬間、心底おかしそうに破顔する。
「大目に見てくれ」
「見てあげよう♪」


 食事が終わるとスネークは暫く電話をかけ、それから音楽を聴いて寛いでいる
僕の傍に戻ってきた。当然のように抱き締める――というより縋りつく。
「何を聴いているんだ?」
 くぐもった声が胸元から響く。ひょっとして、鬱になっているのかも知れない。
「うん? Time to Say Good-byだよ」
 僕は、そっとスネークの身体を引き寄せた。
「いい曲だな」
 ただ甘えているだけのような気もするけど。
「うん。僕は好きだな」
 引いては打ち寄せる、優雅で穏やかな音楽の波に身を任せていると、昨日まで
の恐ろしい時間がまるで嘘だったかのように思える。
 勿論、夢ではなかった証拠に心にも身体にも惨劇の痕は残っているのだけれど。
 二人して、何をするでもなくじっとしたまま、ただ音楽を聴く。
 気怠い光の時間。
「オタコン――?」
「何、スネーク?」
 静かな、声音だった。
 何者にもゆるがせにできない、真摯な声。
 だから、僕も静かに返す――今のこの雰囲気を壊してしまわないように。
「………」
 スネークは何かを思い悩んでいるかのように、ちらりと視線を上げた。次いで
躊躇いがちに口を開き、また閉じた。
 もう一度、意を決したように口を開いたが、やはり声は出てこない。
「……?」
 何? と視線で促しても、黙ったまま硬直している。呼吸すら止めているのか、
何だか苦しそうだ。
 やがて、何かを吹っ切ったように、彼は身を起こした。
「――駄目だ。やっぱり俺には無理だ」
「え……?」
 何が、と問う声はスネークの口に塞がれた。
 合間に何やらぶつぶつ呟いていたが――こんなこっ恥ずかしい事が言えるか、
とか何とか――キスに酔わされている僕には余り理解できなかった。


 二週間後、すっかり傷も癒えた僕はテレビで奴らのあっけない末路を見る事に
なる。
 不始末から洩れたガスに火花が引火し、ビル一つが吹っ飛んだというものだ。
そのビルのオーナーの顔が、あの青年だった。
 どうやって探り、どうやって手を回したのかは解らないが、スネークが復讐を
遂げた事だけは間違いようもなかった。





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