君がいない


     君がいない 戻ってこない
     この世に独り 存在する僕
     そのどこにも 君はいない


     それでも普通に 日は昇るし
     鳥達は 幸せの歌を囀り出す
     ――勿論
     お腹は空くし 眠くもなるし


     君の不在 僕の存在
     どこで交錯したのか
     どこで間違ったのか



     君がいない まだ帰らない






「スネーク……」
 何度コールしても、相棒は通信に出ない。
 圏外なのか、携帯も繋がらない。
 いつもなら殊更に何度も連絡を入れずとも、すぐに来てくれる筈の君が。




     君がいない。



 ふとした事で君の気配を感じるような気もする。
 勿論、ただの気のせいなのだけど。


 いつ君が来てもいいよう、部屋はこざっぱりと整えて。
 食事もきちんと摂る。
「オタコン……お前さん、また痩せたんじゃないのか?」
 なんて言われないように。
 ただそれだけのための、“食事”。
 味なんて判らない。
 砂を噛むよう、という表現があるが、将にそれだ。
 機械的に口に運ぶ。
 栄養補給のための、死なないための――君にまた逢うための“食事”。
 それ以外の意味は、とうに忘れた。




     どこにもいない。



「お久し振りです、エメリッヒ博士」
「御無沙汰しています」
 半年に一度の収支決算報告と活動報告を無事に終えた僕は、白ワインのグラス
を片手にほっと一息ついた。飾らない昼間の立食パーティという事で、参加者は
皆ラフな恰好で楽しんでいる。あとはゆっくりと料理と会話を楽しめばいい。
『そういえば……スネークはこういう場所でもそつがなかったな……』
 人付き合いが下手だという割には、いつも会場の雰囲気に巧く溶け込んでいた。
 ふと思い出す。
 表面上は至ってにこやかに、しかし傍に誰もいない瞬間にうんざりしたような
表情を浮かべる君の顔。互いにグラスの縁で隠し、苦笑して。
『つまらない会話や交わされる社交辞令の嵐に嫌気が差したとしても、君と一緒
にいれば早かったな……』
 次々に挨拶にやってくる大勢の人々。
 決まり切った言葉の応酬。
 微笑みを絶やさずに。
 長い永い苦行の時間。
 そして僕は、また君の事を考える。
 どうして連絡が来ないのだろう、とか、どうして僕に何も言わずに姿を消して
しまったのだろう、とか。




 もしかして何かあったのか、とは考えない。
 ――考えたくない。




 どこをどうやって帰ってきたのか、余り記憶にない。
 ふと我に返れば、スツールにぼんやりと腰を下ろしている自分がいる。
 君好みに淹れた珈琲。
 二人分の珈琲カップ。
 いつもの癖でスネークの分も淹れていたらしい……無意識に。
 それは既に冷たくなっていて、随分と長い間、ぼうっと座っていたらしい事に
気付く。
 目の前の、君の指定席。
 空漠とした影だけが落ちている椅子とテーブル。
「………」
 僕はのろのろと立ち上がる。
 そろそろ買い物に行かないと。
 どうして連絡が来ないんだろう。
 君の好きなお酒も補充しないとね。
 潜入中でさえ少しは連絡くれたのに。
 この際特別に煙草も買ってこようかな。
 ずっと黙っているなんて君らしくもない。
 僕が煙草を渡したらびっくりするだろうか。
 こんなにコールしてるのに何をやってるんだ。
 君なら笑って有難うって言ってくれるだろうね。
 そんな照れくさそうな表情まで想像できるのに。
 返事もできないくらいまずい状況にあるのか。
 一本だけだといいながら沢山吸うだろうね。
 考えたくないけれどやはり考えてしまう。
 やっぱり煙草も一緒に買っておくかな。
 お願いだから早く返事をしてくれよ。
 君の好きな銘柄は近くにないから。
 もう何日も君の声を聴いてない。
 今から行けばまだ間に合うな。
 君の喜ぶ顔が見たいからね。




     まだ帰らない



 もう、気が狂ってしまいそうだ。
 それとも、既に狂っているのか。


 頭の中に不協和音が鳴り響く。
 まずいと思う間もなくよろめいた僕は、その場に崩折れるように膝を突いた。
「おいっ!」
 ひょい、というような擬音が見えそうなくらい無造作に、僕は抱え上げられた。
「何をやっているんだ、オタコン?」
「………」
 待ち望んだ相棒の姿があった。
「軽い……また痩せたな?」
「………………スネーク?」
 呆然とその顔を見上げる。
「ちゃんと食べているのか?」
 ソファにそっと降ろされながら、僕はやはり言われてしまった言葉を反芻する。
「……スネーク」
「ん? 何だ?」
 僕はそっと手を伸ばし、確かにそこに存在する事を確認するように相棒の腕に
触れた。
「ちゃんと触れる……」
「おいおい、今抱き上げただろうが」
 ちょっと苦笑したスネークは子供にするように頭を乱暴に撫で、それから僕の
前に膝を突いた。
「連絡入れられなくて、悪かった……済まん」
 言葉と共に、まるで縋りつくように腕の中に囲い込まれる。
 文句を言う間もない。
 そのまま伸び上がり、過たず捕らえられた唇。
 暫し、互いの苦しさと辛さと、温もりと安堵とを交換する。
 相棒の痛いくらいの抱擁が、その心の内を表わしているようで。
 ――泣きたくなる。







     君が帰ってきた嬉しい日
     この世界に色の戻った日


     ……けれど
     僕にとってだけ重要なこの日
     やっぱり世間はいつも通りで


     鳥達の幸せの囀りも
     射しそめる陽の光も
     何も変わらない事が


     変わりようもない事が
     いっそいとおしくなる



「お帰り、スネーク」
「只今……ハル」





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