Soul Kiss


 スネークが突然思い立ったように花見に行こうと言い出したのは、クルーザー
での移動にも慣れた頃だった。
「花見? どこに行く気なのさ、スネーク」
 海の上で花見もないものである。
 ちょっと驚いた僕の問いかけに、当然のように彼はPCに表示されている海図を
眺めながら場所の選定に余念がない。
「この航路だと丁度S……国が近い。北の方ならまだ見頃だろう?」
 本人はすっかり乗り気である。
『何故、花見……?』
 とは思わないでもなかったが、ここ何年も落ち着いて花見などしていなかった
事に気付いた僕は、まあそれもいいかと思い直した。


「でもスネーク。もうちょっと場所は考えた方が良かったね……」
「……そうだな」
 憮然としてビールを飲み干すスネークだった。
 こんな小国の、しかも取り立てて観光名所でもない片田舎である。
 そんなところへ、年齢も職種も不明な野郎が二人つるんでいるだけでも充分に
悪目立ちする。更にその二人というのが外国人で、片方はちょっといないくらい
のいい男のスネークときた日には、いらぬ衆目を引いて仕方がない。
 広い敷地を持つ公園内を散策したらしたで光合成中のお年寄りの奇異な視線を
浴び、ビールでも飲もうかとカフェに入れば学生や近所のオバサンの熱い視線が
突き刺さり、果ては物慣れた筈のウェイターまでがまじまじと見ていく。
 無論、スネーク一人が受けている視線なのだが。
「何故誰も彼もじろじろ見るんだろうな? 外国人が珍しいのか……?」
 流石に辟易したように呟くスネーク。
『珍しいスネークの天然ボケ……』
 自分がどれだけ引きつけるものを持っているか、知らなかったのか。
 芝生に寝転がり、顔を隠せば少しはましかと雑誌を乗せている。
 僕はといえば、そんなスネークの日除けになりながら雑誌をめくっていた。
 凄くいい天気だった。
 潮風に吹かれながらクルーザーを走らせるのもいいけれど、こうしてきちんと
大地に立ち、舞い落ちる花弁を愛でるのも悪くない。
 見頃には少々遅かったが、それでも充分に見事な桜が仄白い花弁を雪のように
降らせている。
 昼下がりから夕刻へと揺蕩い流れる、蜂蜜色の時間。降り頻る花弁と相俟って
一種眠気を伴った開放感をもたらしてくれる。
 お腹が空いたらジャンクフードを気の済むまで摘まみ、咽喉が渇けばすぐ傍に
アルコールの壜、眠たくなればそのままお休み。
 実に平和だった――いつもの生活を幻と錯覚してしまうくらいに。
 目の前、ちょっと下ったところには湖があり、水鳥達が滑るように泳いでいる。
貸しボート屋でもあるのか、三〜四隻のボートがかなりもたついた動きで漂い、
のんびりとした雰囲気に拍車をかけていた。
 どこか遠くから子供のはしゃぐ声。
『そういえば、奥の方にアスレチック・ランドがあったな……』
 いい加減酔いが回ってきた僕はアルコールをやめ、ポットで買ってきた珈琲に
口をつけた。
「俺にもくれ」
「あ、スネーク。起きた?」
 慌てて飲み干そうとしたカップをひょいと取り上げられる。
「ちょっとスネーク。まだ入ってるって」
「これでいい。丁度飲み頃温度だ」
 片肘を突き、器用に飲み乾すスネーク。
 大きく吐息をつくと、そのまま腹筋だけで起き上がる。
「あれ乗るか?」
 指差す先にあるもの、それは――
「え!? いや、別にいいよ!」
「乗りたそうだったぞ」
 寝ているとばかり思っていたのに、いつの間に見ていたんだい君は。
「いいって。悪目立ちするだろう、男二人でボートなんて」
 楽しそうに笑うスネーク。
 君って絶対僕を困らせて楽しんでる節があるよね、本当に。


 実に怠惰に過ごした僕達は、流石に夕刻の声を聞く頃になって撤収した。
 そのまま夜桜を楽しんでも良かったが、春とはいえ夜ともなれば結構冷え込む。
風邪を引く前におとなしくホテルへ帰る、が上策。
 広い公園ではあったが、資本主義国家のようにやたらとライトアップはされて
おらず、いっそ暗闇に浮かび上がる桜の木の方が明るいくらいだ。
 仄かに薄桃色に耀く、巨大な桜の木。
 樹齢はいくつになるのだろう? この大きさからすると相当なものだろう。
 思わず傍まで近寄ってみる。
 微風に誘われ、ほろほろと散り敷く生命
『雪みたいだけど……やっぱり雪とは違う。もっと暖かいよね』
 まるで温かなその胸の内に全身を預け、微睡んでいる時のように。
 項を撫でてくれる勁い指先が、そっと触れる時のように。
 戯れるように目の前を横切る花弁をそっと受け取ろうとするが、あともう少し
で気紛れな動きに惑わされ、なかなか掌に受けられない。
 もう一度、と伸ばした手を急に捕らえられた。
「何だよ、もう」
 振り返りかけ、そのまま動けなくなる。
「……スネーク?」
「………」
 背中越しに相棒の温もりが伝わってくる。
 何も言わず、ただ抱きしめる力強い両の
「どうかした?」
「……いや……何となく、な」
「………」
 こういう場合、僕はどうしたらいいんだい。
「……何となく、お前さんが……どこかに連れていかれそうに思えて、な」
 いつどこで誰に!?
 咄嗟にそう思ったが、口には出さない。
 代わりにこう言う。
「連れていかれるって、桜に?」
 冗談のつもりだったが、抱きしめる腕に力の籠もったところを見ると、どうも
図星だったらしい。
 全く、君ときたら子供か?
「僕が何を考えていたか、教えようか」
「………」
 沈黙は肯定と受け取り、僕は悪戯っぽく続けた。
「君に似てるなぁ……って考えていた」
「桜が?」
「うん。頼り甲斐のありそうなところとか、降り頻る花弁がいつも全身で護って
くれてる君の腕みたいだな、って」
「………」
 気配で笑ったのが判る。
「じゃ、俺は自分自身に嫉妬した訳か」
 今度は僕が沈黙する番だった。
 この恰好つけな男がここまではっきり己の心情を、しかも真顔で吐露するのは
もしかしなくても初めてかも知れないな、などと考えながら。
 さっきから互いの表情は見えていない。でも見えていなくて、本当に正解だ。
 自分でも顔が熱くなっていくのが解る。
「このままここでこうしていても埒が明かんな。全身桜だらけだ」
 漸く腕の中から解放されて、僕は(多分赤い顔のままだろう)振り返った。
 頭と肩にたまっていた花弁を払っていたスネークと視線が合う。気のせいか、
彼の顔もちょっと赤くなっていたような。
「帰ろうか」
 僕もいい加減に花弁を払いながら、笑う。
 桜がスネークに似ているとは言ったけど、花弁まみれの姿には笑ってしまう。
 気を取り直し、立派な桜に別れを告げた僕達はまたゆっくりと歩き出した。
「ち、ちょっとスネーク!」
 数歩も行かない内に回された腕に、酷く狼狽えた僕は滑稽だったろう。今まで
散々抱き合ってきたのだから。
 でもそれとこれとは別だ。誰に見られるか知れないのに。
 非難を籠めた視線を上げれば、茶目っ気たっぷりに笑うスネークの顔が、至近。
「寒いだろう?」
 人が余りいないのをいい事に、君ってば無造作過ぎるよ。
「いいって!」
 僕の方は寒さを感じるどころではない。
 焦って振り解こうとした腕を更に押さえられて一言。
「俺が寒いんだ」
「知らないからな、どうなっても」
 半ば諦めの心境で呟く。
「誰かに見咎められたらこう言えばいい。俺は目が見えないのでお前が杖代わり
をしてやってるって」
「見え透いてるし……」
 一頻り、笑い合う。
 あとは二人、何も言わずにのんびりと歩いていく。
 その手の店からはお酒も入って賑やかに浮かれ騒ぐ声が聞こえてくるが、路地
は驚く程静まり返っている。
 昔ながらの瓦斯灯がぼんやりと滲んだ耀きを燈し、空気は爽やかな春の匂いに
満ちていた。
「来年も、また来ような」
「ああ、そうだね」
 沈黙が快かった。
 余計な事は言わなくても何も気詰まりではない、ただ穏やかに過ぎ行く時間を
感じていればそれで良かった。


 そして、今は隣で眠るスネークを見詰める。
 払い残した花弁が一つ、名残を惜しむかのように髪の間から零れ落ちていた。
 何となくそれを拾って咥えてみる。
 仄かに桜の香りと、いつもスネークが使っているシャンプーの匂い。
 きっぱりした口元にそっと花弁を乗せる。ちょっとした悪戯。
 不安を感じさせるものは何もない。
 なのに、この湧き上がる不安感は何だろう。


 その理由を察するのはもう少し後の事になる――.


《了》
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