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 それは、起こるべくして起こった。
 油断していたというならそうなのだろう。一体誰の油断か、となると意見の
分かれるところだろうが。


 今回の依頼人は珍しく法人だった。
 曰く、学校の怪談などという噂を真に受け、生徒や外部の者が深夜に校内へ
勝手に入り込み、悪さをしている。良くはないが肝試し程度で住んでいる内は
マシだったが、とうとう怪我人が出た。更には、生徒ではないので未確認情報
だが、行方不明者まで出たらしい。
 事態を重く見た関係者は警察に通報すると同時に、半信半疑ながらその道の
プロ、つまりは霊とか相談所へ依頼を持ってきた、とこういう事らしい。
「実に正しい判断です。素人が下手に手出しをするのは大変危険ですから」
 霊幻の得々とした口上をその頭上から聞き流しながら、俺様は鼻を鳴らした。
生憎それは依頼主にも所長にも聞こえない。どちらもドのつく程の一般人だ、
敢えて気配を消さずとも察知される事はなかった。
「生徒の安全を第一に、原因の徹底究明と可能であれば排除をお願いします」
「お任せ下さい。早速今夜にでもお伺い致します」
 厳しい表情を崩さなかった依頼主が、ここで初めて愁眉を開いたのが見えた。
 いっては何だが、こんな胡散臭いところへ依頼を持ってくるのも本当は気が
乗らなかっただろうに。まるでこれが単なる商談の一つだったかのように軽く
一礼すると、手許の鞄から封筒を取り出した。
「失礼とは存じますが、こういった場合の相場が良く解らず……これは手付金
という事で」
 流石に霊幻の瞳が瞠られた。
 万札が納められているだろう封筒は呆れる程の分厚さだ。五十万や百万では
きかなさそうだ。
「いや、ウチは成功報酬として頂いているので……」
 動揺の余り、他所行きの言葉も崩れている。
「いえ、色々と御用意もある事でしょうし、理事の方からも是非ともよしなに
と言いつかっておりますので」
 庶民感覚の抜けない霊幻は固辞していたが、俺様にはその金額の是非がぴん
ときた。
〝いいから一旦貰っておけよ霊幻〟
 先方には聞こえないだろうとは思ったが、一応霊幻の左肩に乗り声を潜めて
そう言ってやる。
「……解りました。では一度お預かりするという事で」
「助かります。お名刺を提示頂ければいつでも校内に入れるよう警備の者には
話を通しておきますので」
 依頼人は扉の前でそつなく一礼すると相談所を辞した。


「ふいー、何だか疲れたわ」
 先刻までの糞落ち着きに落ち着いた態度をかなぐり捨てた霊幻は、いつもの
ぼんやりとした表情でカップに新しいお茶を淹れてきていた。中身はどうやら
出涸らしの焙じ茶らしい。相変わらずの適当さ加減が垣間見える。
 ソファへ自堕落に腰かけるのに合わせ、俺様もその横に並んで浮かぶ。霊体
のままでは飲めない代わりにいつもはその香りを楽しむのだが、出涸らしでは
さっぱりだ。苛めかこの野郎。
「つっか何だよこの金額……おいおい、三百万も入ってるぜ」
 隙間から中を覗き込んだ霊幻の目が線になる。
 無造作にテーブルに置いたところを見ると、言う程動揺はしていないようだ。
それが口止め料込みである事を、先程の俺様の耳打ちで理解したらしい。
〝有名どころの学園理事から後事を託されるような奴だ、なかなか一筋縄では
いかないなありゃ〟
「だろうなァ」
 怠そうに首筋を揉みながら霊幻はちらりとこちらを見上げた。俺様も無言の
まま視線を僅かに下げる。
 アイコンタクト。
 ――で、どうよ?
 真っ直ぐ合わせられた霊幻の目が疑問の色を乗せつつも、ほぼ確信している
ように眩いた
〝……居やがるな、そこそこ大物が〟
 依頼主の身体から妖しの気配が残り香のように仄昏く立ち上っていたのに、
この俺様が気付かない筈がなかった。霊幻の方でも零能は零能なりの処世術で、
あの短時間の会話からヤバそうな気配を読み取っている。
「流石に深夜じゃモブを連れ出す訳にもいかないし、頼りにしてるぞ、エクボ」
〝仕方ネェな。この貸しは高くつくぞ〟
 尤も、一度たりとも貸しを返して貰った事はないが。


 そういう訳で草木も眠る丑三つ時、俺様と霊幻は問題の学園へと赴いた。
 驚いた事に、警備員はあの男だった。ただ、当然の事ながら憑依している訳
ではないので何の面識もない他人として挨拶を交わし、鍵を開けて貰っただけ
に終わる。
「おいエクボ……何か企んでるんじゃないよな」
〝莫迦言え。いくら俺様でも憑依体の全部を把握している訳じゃネェよ〟
 警備員から充分に離れたところで霊幻が言わずもがなの事を確認してくる。
流石に俺様も偶然に驚きはしたが、勿論謀った訳ではない。
 そもそも依頼主が予約の電話をしてきた時から今の今まで、俺様は一度たり
とも相談所から離れていない。つまりは、霊幻の目の届くところにずっといた。
を巡らそうにも、これだけ至近にいて聡い霊幻の目を誤魔化せる訳がない。
当然、そんなつもりもどんなつもりもからないのを強調しておいた――もう
あんな思いは沢山だ。
 それはそうとして。
〝あの男も良くよく運がないらしいな〟
 巻き込まれるのは、一体これで何度目だ。俺様に魅入られたせいばかりとは
思えない、運の悪さだ。
「おい、無茶はするなよ」
〝解ってるって〟
 半分掛け合いのような、内容のない会話を交わしながら奥へと進んでいく。
「依頼主も細かいところまでは良く解っていなかったらしいからな。手当たり
次第にいくぞ」
〝無茶はどっちだ〟
 苦笑を浮かべつつ、俺様は霊幻の左斜め上から周囲を見回した。
「まずは校舎入り口だ」
〝ん〜、何もいネェな〟
 大抵は雑魚の一匹や二匹、そこらを漂っているものだが。綺麗さっぱり何も
ない。件の妖に喰われでもしたのか。
「なら話は早い。先へ行くぞ」
〝へいへい〟


 用務員室、倉庫、体育館、教職員側入口にも特段問題はなく、俺様と霊幻は
二階を攻略中だ。
「教室も問題はなさそうだな」
 薄暗い廊下を進んでいくが、単なる無人のそれだ。尤も、霊幻には見えない
モノが俺様には見えていた。それは机に向かい、一心不乱に何かを書きつけて
いる。どうやらテスト勉強真っ最中のようだ。
〝ああ、また間違えた……どうしよう、もうすぐ中間試験なのに……〟
 顔色が悪過ぎるのと深夜という時間帯を度外視するなら、それは学校内では
そこそこ見かける光景だった。恐らく本体は眠っているだろうが、案外夢の中
では繋がっているかも知れない。
〝ノイローゼ気味の生霊が一匹居るけどな〟
「喰うなよ!」
 物凄い勢いで振り返った霊幻。
〝俺様人は喰わネェって何度言わせるんだ!〟
 怒鳴り返しながらも、一応その哀れな生霊を軽く促し、本体へ還してやる。
万が一この騒動に巻き込まれてしまっては気の毒だ。死にはしないだろうが、
折角勉強したところを忘れたり無気力になっても可哀想だ。
「ならよし」
 霊幻はにやりと口角を上げ、悪そうな笑みを浮かべた。
 俺様がそれに突っ込みを入れる間もなく踵を返し、さっさと先に進み始める。
「この奧は特別教室か」
 所謂、音楽室やら家庭科室なんかが広めの間隔を持って続いているようだ。
〝音楽室と言えば、アレか〟
「アレだな」
 怖々言うならまだ可愛げがあるものの、討ち入りに挑むが如く、霊幻は扉を
引き開けた。
「頼もう!」
〝莫っ迦、煩ェよ〟
 正確には煩いではなくて危ないだったが、俺様は霊幻の頭上を飛び越し前へ
出た。まるきり見えていない癖に、ある意味で思い切りの良過ぎる零能な男に
毎度振り回される上級悪霊。おかしみが過ぎて涙が出そうだ。
 そんな俺様の内心など知らず、霊幻は胡乱な表情で周囲を見回している。
「どうだエクボ、いそうか?」
 抜かりなく茂夫のパワー入りの塩を構えているが、やっぱりその目には何も
映っていない。
 見えないなら前に出るなと言いたいのを咽喉奥に押し込み、俺様はゆっくり
と力を両手に込めた。
〝お約束なのがいるぜ……まぁ今回の依頼とは関係なさそうだが〟
 言い果てもせず、ピアノが勝手に鳴り出した。
「うを、びっくりした」
〝声が平坦じゃネェか、どこが驚いてるってんだ〟
 突っ込みを入れつつ、俺様はピアノから出てきた雑魚霊を引き剥がした。
 弱いは弱いが、長年怪談話のレギュラーを張っているだけあって、そこそこ
マシな量の霊力を溜め込んでいた。
 霊幻は霊幻で、バッハやらモーツァルトやらの額縁に向かい塩を撒いている。
目玉をぎょろつかせていた絵画達が一斉に顔を顰め、目を閉じた。
「絵でもしみるんだ……」
〝阿呆抜かせ! 茂夫の超能力で溶かされてるだけだ〟
 絵から次々に悪霊が逃げ出していく。精々が目玉を動かしたり口を動かして
笑うくらいが関の山の雑魚だ。
「還して差し上げなさい!」
 弱過ぎるので放置していたら怒られた。
 大体、何故丁寧語なんだ。そもそも霊など見えていない筈なのに、何故俺様
が見逃したのが解ったんだ。
 突っ込みどころがあり過ぎて追いつかないが、ともかくも、これで音楽室は
片付いた。


 視聴覚室ではこれまたお約束のように勝手にコンピュータが起動し、何故か
砂嵐を映し出した画面から出てきてはいけないモノが這いずり出てきた。
 恐ろしい悲鳴は上げるし、どこまでも絡みついてくるを帯びた髪を武器に
霊幻の身体を乗っ取ろうとしてくるし、切っても祓っても再生するしで面倒な
悪霊だった。最終的に俺様が丸坊主にしてやったところへ、霊幻がとどめの塩
をぶちまけて送り返した。
「今のはなかなかハードだったな」
〝茂夫に感謝しろよ〟
「するする」
 小さく溜息を吐いた俺様は、他に怪しい物がないか改めて周囲を見回した。
 教師の趣味なのか、教室の片隅に鎮座している今では誰も使い方が解らない
だろうオープンリールが目を引いた。
 霊幻も気になったらしく、二人揃ってそれに近寄る。
 まだ手も触れていないのにテープが回り出したのを――御丁寧に子供の啜り
泣きつきだ――霊幻は怯える事もなく、さくっと停止させた。巨大なスイッチ
が見た目よりは軽い音を立て、ストップの位置を指す。
「ん〜、もう巻き終わってるじゃねーか。反対向きだろうが」
 半目になりながらリールをひっくり返している。
〝何で使い方を知ってるんだ〟
「親父がオーオタだったからな。エクボも知ってるだろう? いや、お前なら
蓄音機の方が詳しいか」
〝そこまでいったら死語じゃネェか……〟
 テープを改めて正しい向きと回転数に合わせ直し、霊幻はスイッチを捻った。
 アナログの温かみのある音が流れ出し、周囲に漂っていた霊魂が次々に光り
輝きながら成仏していくのが見える。
 この男が怖いのはこういうところだ。
 猪突猛進に突っ込んでいくかと思えば、まるで何も考えていないような顔を
して、捕らわれていた魂を還してやる。
 先刻の液晶から出てきた悪霊と、このオープンリールに捕らわれていた魂を
一体どこで見分けているのか――何も見えていない筈なのに。


「しっかし盛り沢山だな。バーゲンセール中か」
〝早くしないと夜が明けちまいそうだぜ〟
 家庭科室ではスプーンにフォーク、ナイフや包丁と、金属ばかりを飛ばして
くるポルターガイストを片付け、保健室ではやはりお約束の人体模型と遊び、
化学室では薬品攻撃を辛くも躱し、現在地は三階だ。
 それでなくても深夜の捕り物だ、霊体である俺様には関係ないが生身の霊幻
にはキツいだろう。
「あとは教室ばかりか?」
〝いや、図書室が残ってるな〟
 妖しの気配もそこから漂ってきている。
「いよいよ本命か」
 霊幻の視線が鋭くなる。
 いや、だからオマエさん、見えてないだろうに。
 自分の身さえ守ってくれればいいが。


「………」
〝………〟
 今度は静かに扉を引き開けた霊幻。流石に俺様の【そこそこ大物】といった
言を覚えていたらしい。
 窓から弱々しい月の光が朧に射し込む以外、非常灯の緑の灯りだけが光源の
室内は、本棚が並んでいる事くらいしか判別できない。図書室独特の古い本の
匂いが幽かに漂う。奥の方には受付カウンター、左側には書庫へ続く扉がある
ようだ。
 その手前には――
「エクボ、あれ何だと思う?」
 霊幻が呆気に取られた様相で指差す先。
 零能の彼に見える程だ、それ相応の霊素の塊らしいそれは、当たり前の顔を
してそこに存在していた。
〝でかい鏡と……何でロッカーがど真ん中にありやがるんだ〟
 邪魔だ何だという以前に、鏡は宙に浮いている。ロッカーも見かけは普通の
一人用サイズだが、置いてある位置が部屋のほぼ真ん中と謎過ぎた。丁度鏡と
向かい合わせになるように設置されている。確かに着替える時に便利そうだが、
そもそもがここは図書室だ。それなら真後ろにあるより横にある方が――
〝あ、おい!〟
 ここでも霊幻の思い切りの良さが遺憾なく発揮され、うっかり間抜けな事を
考え込んでいた俺様は僅かに出遅れた。
 霊幻の姿が鏡に映る。
 慌てて回り込んだ俺様が視たもの。
 ロッカーの扉は僅かに開いていた。扉にも小さな鏡が据えつけられている。
それと巨大な鏡が向き合い、合わせ鏡の状態になっていた。
 拙い――
 脳裡に響き渡る警鐘を意識する間もなく、俺様は霊幻の腕を引いた。
 見開かれた霊幻の瞳に月光が射し込む。
 光は鏡へと集束し、次いで反射した。
 俺様の姿は意識しないと映らない。今はそれが徒となった。
 冗談のように鏡へと吸い込まれる霊幻。
〝霊幻!〟
 摑んだ腕は離れなかった。
「あ、あれ?」
 暫しの間、呆気に取られたまま互いを見やる。
「俺、今……吸い込まれた、よな?」
〝どこも何ともないか〟
 後れ馳せながら俺様は霊力を解放し、霊幻を視た。
 大丈夫だ、どこも欠けていない。おかしなモノが取り憑いている気振もない。
 ほっとする間もなく、その巨大さに比して澄んだ音を立てて鏡が割れ砕ける。
咄嗟に抱き込んで庇ったが、この世のものではない材質だったせいか、欠片は
どちらにも何程の痛痒も与える事なく消滅していった。


「これ、依頼完了と言っていいのか?」
 ロッカーの方は現実の物体だったらしく、消えずにそのまま残っていた。
 その扉を意味もなく開けたり閉めたりしながら、途方に暮れたような表情で
霊幻がこちらを振り返った。
〝鏡は割れちまったしな……妖の気配もなくなったし〟
 あの一瞬、霊幻が鏡に吸い込まれたと見えた時、確かに某かの勁い力が放出
された感覚はあった。だが、言ってみればそれだけだ。
 既に鏡はなくなった。霊力を籠めた視線を周囲に一渡り投げてみるも、特に
妖しい気配は残っていなかった。ロッカーも極普通のものだ。
 念のため、不可視状態に遷移して物理現実を外れたところから見回してみた
が、こちらも問題ない。寧ろ余りに何も居なさ過ぎて肩透かしだ。
 あの鏡に吸い込まれてしまったのか――悪霊も、魂も、何もかも。
 凡そ感じる筈のない冷気が首筋を撫でたような気がして、俺様は柄にもなく
震えた。
「気配がない、とお前がそう言うなら大丈夫だな」
 全幅の信頼を籠めた視線を向けてきた霊幻は、今更俺様がフル霊力モードで
傍近く立っていた事に気がついたらしい。何とも言えない表情で目を逸らした。
〝……何だよ〟
「……別に。折角そのになったんなら、ちょっと手伝え」
 律儀な事にロッカーの場所を壁際へ移動させるらしい。人魂サイズの時なら
ともかく、この姿であれば然したる手間でもない。俺様は言われるがままに、
壁側の適当な場所へロッカーを動かした。
「帰るぞエクボ」
〝おう〟
 開きっ放しの扉が気になる。閉めようとして、俺様は何の気なしに中の鏡を
覗き込んだ。
「何してるんだ?」
 霊幻の声がすぐ隣からする。
〝……いや〟


――そこには何も映っていなかった。







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