貳

 赤い闇は“あの頃”の事を執拗に思い出させようとする。
『父さん――』


 ジャック……私のジャック。
 お前は可愛い奴だ。
 何も疑わず、私の意を迎えようと無心する。
 良くやった、その一言で酬われる素直な人形。
 移り気で要求ばかり多い他の仲間と違って、お前は最後まで私に仕えてくれた。
 お前は本当に――


 言われるままに《敵》を屠っていた、使い勝手のいい人形。
 それが俺。
 時々起こるフラッシュバックに、意識を持っていかれそうになる。
 だが、大丈夫だ。今の自分はあの頃とは違う。
 何のために戦うのか、護りたいものは何か、ちゃんと解っている。
 ――腕の中の重みを忘れずにいる。
 通路が右に折れているぎりぎりのところから、そっと顔を出す。人はいないと
解っていたのだが、妙な気配を感じたのだ。
『何だあれは』
 修理ロボットか何かだろうか、四方にアームを突き伸ばした姿のまま、通路の
中央に鎮座している。暫く見ていても動きはない。
『何故格納庫にしまっておかないんだ……』
 俺は舌打ちしたい気分を抑えつけ、もう一度周囲を良く見回した。
 どうやら、監視カメラの類いはなさそうだ。
 問題は、あれがどの程度生きているかだ。完全に電源を落としているのなら、
何も無用な騒ぎを起こす事はない。このままそっと横をすり抜ければいいだけだ。
 だが――
『もしステーションのコンピュータと連携していたら……?』
 敢えて想像を巡らせるまでもない。感知領域に入った時点でアウトだ。
 躊躇いは一瞬だけだった。俺は軽く助走をつけると壁を蹴った。
 異様なまでに軽く感じる身体をひねり、武骨なロボットの斜め上を飛び越える。
地球上ではあり得ない動きも、この低重力ならできる筈だと踏んでの事だった。
 思った通り、さほど苦労する事もなく飛び越えられる。反対側に舞い降りると
同時に物陰に隠れる――が、やはり動きはない。
 完全にダウンさせられているのか、単に気付かれずに済んだのか。
 気にはなったが先に進む事にする。
 やがて、厳重に扉の降りた部屋の前に着いた。
 勿論人力で開けるタイプのものではない。左側に暗証番号を打ち込むプレート
が微かに光っているのが見えた。
『これは……』
 あの男に聞くしかないようだ。
〔あー、エメリッヒ博士?〕
 スネークも聞いている通信で“オタコン”などとは呼べない。当たり障りなく
肩書きつきで呼びかけた俺の耳に、しかし、信じられない声が飛び込んできた。
〔ジャック……?〕
「――!?」
 それは聞き間違いようのない声、今ここにいない筈の人物の声だ。
〔ろ、ローズ!?〕
 動揺に声が裏返ったのも仕方がないだろう。
〔何故君がそこにいるんだ!?〕
〔何故?〕
 ゆらり、と何かのオーラが立ち上る気配が感じられる。
 こうなったローズに逆らうのは無駄だ。
〔あなたのあんないい加減な説明じゃ、納得できる訳がないでしょう!?〕
 怒っている。
 これはかなり怒っている。
〔済まない……君を騙した訳じゃ――〕
〔騙したのと変わりはないわ! わたしに内緒でこんな危険な任務に就いて!〕
 言下に否定される。まあ、あの説明では俺でも納得できなかっただろうから、
文句は言えない。
 だが、ここで彼女と喧嘩している場合ではないのも事実だ。
〔文句は帰ってからいくらでも聞く。悪いがエメリッヒ博士と変わってくれ〕
〔……解ったわ〕
 彼女も今が口論などしている場合ではないと思い直したのだろう、珍しく素直
に回線を繋ぎ変えてくれる。
〔や、やあ雷電〕
 声が少し緊張している。
 すぐ隣でローズが目を光らせているのだろうから、無理もない。
〔エメリッヒ博士。今ハンガーの前にきている〕
〔あ、うん。こちらでも確認したよ〕
 キーを叩く音が軽やかに聞こえてくる。
〔パスワードロックされた扉なんだが……開けられるか?〕
〔ちょっと待っててくれるかい〕
〔解った……〕
 この男は、いついかなる時でもこんな調子なんだろうか。のんびりしていると
いうか、間が抜けているというか。
 少々どころではなく失礼な事を考えながら、俺は無意識に背後を振り返った。
「――!!」
〔悪いが博士、悠長な事をしている暇はなさそうだ〕
 さっきの修理ロボットが、静かに移動してきていた。深紅に光るカメラアイが
はっきりと俺の姿を捉えたのを感じる。
〔応戦してくれ! 但し、壁に穿孔させちゃ駄目だよ〕
 簡単に言ってくれる。
 俺は足を止めようとサーボ機構を狙って撃った。
「くそ」
 ロボットは、その鈍重な見かけに似合わぬ素早い動きで一本のアームを動かし、
銃弾を受け止めた。
 何のダメージも与えられないまま、空しくアームに突き刺さる弾。
〔博士、ステーションに気付かれたぞ〕
〔解ってる……もう少し〕
 これだけ的確な動きができるのだ、恐らくこいつは直接ステーションから操作
されているのだ。
 非人間的な直線を描き、どんどん近付いてくるロボット。威嚇的な音をさせる
でなく、いきなり攻撃してくるのでもない。
 それが、一層不気味だ。
〔まだか!〕
 今度はカメラアイを狙って撃つ。
 きぃんと澄んだ金属音をさせて、銃弾が跳ね返される。
 跳弾の行き先は――
「うっ」
 危ういところで俺は身をひねり、己の撃った弾に当たるという失態を免れた。
 跳ね返された弾は背後の頑丈なハンガーの扉に当たり、もう一度跳弾してから
壁にめり込んだ。幸いにして、空気の抜ける恐ろしい音はしてこない。どうやら
安全区域で止まったようだ。
『迂闊な攻撃はできない』
 破壊する事も足を止める事もできないとしたら、あとはもう逃げるしかない。
 だが、ここで逃げても何の解決にもならない。閉鎖空間ではそもそも逃げ場が
ないし、却ってハンガーは厳重に警備されて任務は失敗だ。
〔博士!〕
 彼我の距離はもう数メートルもなかった。
 ハンガーの扉で通路はどん詰まりになっている。それ以上は下がれない。
 操作しているのが人間であれば隙を突く事もできるだろうが、恐らくそうでは
ないだろう。銃弾を狙った場所に跳弾させられるなど、人間業とも思えない。
 あれに組みつかれてしまえば、終わりだ。
 俺は焦燥を抑えながら、ロボットの動きを睨みつけた。
〔雷電、パネルから離れて!〕
 待望のその声を聞くなり、俺は先程と同じ要領で壁を蹴って宙を飛び越えた。
ロボットのアームが俺を捕らえようと伸ばされたが、予想していた俺は天井側を
蹴り飛ばして方向を変え、その間をすり抜けた。
 次の瞬間、プレートからぱちっと何かがショートする軽い音が聞こえ、侵入者
を拒んでいた扉がゆるゆると開き始めた。
 一瞬、ロボットの動きが躊躇ったかのようにぶれる。
 このまま侵入者である俺を排除するべきか、それともハンガー前を死守した方
がいいのか迷ったかのように。
 俺は素早く身を反転させると動きの止まったロボットの足許を駆け抜け、開き
かけのハンガーの扉へ飛び込んだ。
 弾かれたように方向転換し、あとを追ってくるロボット。もう隠れている意味
はない。俺は通路のど真ん中を全速力で駆け出し始めた。
 しかし、これでは写真を撮るどころではない。何とか追い縋るロボットを排除
しなければ、と見回した目に飛び込んできたモノ。
「メタルギア――」
 薄闇に浮かび上がる、禍々しいその姿。
 静かだったハンガーに、俺の荒い呼吸音と足音だけが響く。その様を見下ろす
かのように微動だにしない。
 やはり造られていたのか。それも、一機ではない。
 全力で走り抜けた視界に映ったのは一瞬だったが、あの特徴的なシルエットは
間違いなく、忌まわしい記憶の中の姿そのものだった。
『もしアレが一斉に攻撃してきたら……』
 ざわり、と鳥肌が立つ。
 前回と違って、今は丸腰に近いのだ。こんな豆鉄砲では敵すべくもない。
 早く何とかしないと。
〔おい雷電。さっきからどたばたやっているようだが……大丈夫なのか?〕
 思わず膝が砕けそうになりながら、俺は怒鳴り返した。
〔今忙しい! 悪いがあとにしてくれ!〕
〔おいおい、久し振りで肩に力が入り過ぎてやしないか?〕
〔………〕
 それに軽口を返せる程、俺には余裕はなかった。
 更に奥まで走り続けた俺は、うってつけの場所を見つけた。
 気が散れば、俺もただでは済まない。あれこれと意識を配る暇もない。
 構えた銃口の先に光るのは、何かの機材を吊るした細い鎖だ。
 撃ち抜き、スライディングの要領でくぐり抜ける。
 けたたましい音と共に、ハンガー全体が震動する程の衝撃が全身を打つ。
 真後ろにまで迫っていたロボットは、それを避けられなかった。うまい具合に
降ってきた荷物の下敷きになってくれる。
「ふう」
 安堵の吐息をつきながら身を起こす。
〔雷電、大丈夫かい!? 怪我とか――〕
〔怪我はないジャック!?〕
〔頼む! いっぺんに叫ばないでくれ!〕
 耳小骨に痛みさえ覚えて、俺は悲鳴を上げた。
〔俺は無事――いや、まだだ〕
 相手が格別頑丈な奴だったのか、それとも資材が低重力のせいでさほどの衝撃
を与えなかったのか、件のロボットは何事もなかったかのように動き始めていた。
 己の身体の自由を奪っていた資材を次々に取り除け、機械的な執拗さでもって
また俺を視界に捉える。
「くそ……」
 もう、今と同じ手は通用しないだろう。
 俺は狂おしく辺りを見回した。
 何か――何か武器になりそうなものはないのか。
 深紅のカメラアイがぴたりと俺に併せられ、アームが引き延ばされ――
「……?」
 構えた銃口の先、ほんの数ミリのところでアームは停止していた。
 禍々しく耀いていたカメラアイも数度脈打ったあと、ゆっくりと消えていく。
〔無事か、雷電?〕
 そして、聞こえてくるのは穏やかな声。
〔……スネーク。システムを?〕
〔ああ。こちらで完全に掌握している〕
 助かった。
 ただの置物と化したロボットのアームを避けながら、俺は大きく溜息をついた。
〔危ないところだったな〕
 僅かに笑いの波動が伝わってくる。決して莫迦にしている訳ではないのだが、
やはり少し悔しい。
〔……そうでもない。普通だ〕
 言ってから、これではいつも危ない目に遭ってばかりだという意味に取られる
事に気付く。
 だが、まあ、今更だ。
〔これから撮影に入る〕
〔おう、任せた〕
 邪魔をする者さえいなければ、あとは早い。さっさと撮ってしまおう。


 俺は不気味に沈黙を守ったままのメタルギアへ向け、シャッターを切った――





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