桎梏


 いつか来る日。
 確実に迫る日。
 誰にでも平等に訪れる《その日》。
 それは生あるものである以上、免れる事はできない。
 例外はない――その訪いは着実で確実だ。
 遠いのか、近いのか。
 それを予期する事も予知する事も、ただ人の身には過ぎた願いだ。
 だが――


 だが、余りに早過ぎた……!!
 神がいるものなら、何故より罪深き俺を召し上げなかったのか。
 俺だけが残り――ただ独り、置いていかれて。
 何という事だろう、己の存在が厭わしくなる。
 それとも、これこそが俺に下された罰なのか。
 だとしたら、神は何と残酷で狡猾なのだろう。


「………」
 俺は、何杯目になるか判らないグラスの中身を、乱暴に咽喉奥へと流し込んだ。
 ひりつくような高濃度の酒精が体内をじりじりと焼いていくが、少しも酔った
気にはならない。
 霞んだ視界に、煌めく琥珀の光は余りに淋しく映る。
 揺らめく想い出、移ろいゆく記憶。
 懐かしい音と匂い。
 それら全てを飲み乾しては注ぎ足し、注いではまた機械的に咽喉へ流し込んで
いく――ただひたすら、その繰り返し。


 ここは、何と寒々しい場所だったのだろう。
 ただ一人の不在だけで、全てがこんなにも違うものなのか。
 虚しい自問自答も慟哭も、全てし尽くした。
《後悔》という、泥濘に呑まれる時期は既に過ぎ去っていた。
 今は《俺》という空っぽの器があるだけだ。
 両腕から失われてしまった重さに呆然とする、愚かな男の。


 どうして俺は生き恥を曝しているのだろう……?


 ――改めて思う。
 どれだけお前の存在に助けられたか。
 それは何も作戦行動上の事だけではない。
 普段の何気ない仕種、他愛もない会話。
 時には言い争ったりもした。今にして思えば、実にくだらない理由で。
 だが――それすらも……もう、二度と――できはしない。
 哀れな男の末路よと蔑むがいい。否定はしないし、するつもりもない。


 何と恐ろしい孤独だろうか。
 俺は未だかつて、これ程の寂寥を感じた事などなかった。しかも、この寂寞は
解かれる事はないのだ。もう、二度と……


 俺の魂魄永遠桎梏を受けてしまった。
 お前という欠くべからざる存在を失い、今や脱け殻に等しい俺。
 だが完全に理性を手放すまでには至らず、廃残の身を曝している。
 いっそ全てを手放し、底の底まで溺れてしまえれば楽なのだろうが。


 だが、お前との《記憶》まで失う恐怖。それに比べれば、こうして思い返せる
方がずっとましだ。
 想い出に笑みを浮かべ、そしてもういないお前の事を思って繰り返される痛み。
 失うあたわざるが故に繰り返される、終わりのない苦しみ。
 これこそが俺に与えられた永劫の苦痛なのだとしたら、天上の大神の目論見は
成功したと言えるだろう。
 お前が、いない……
 それだけで、全てが色褪せる。
 かけがえのないお前を失い、俺もまた、どこかを失くしたのかも知れない。
 俺は殆ど意識する事もなく、胸ポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を
取り出し、一本咥えた。


『スネーク、君ねぇ……自覚症状ある?』
『何がだ』
『あーあ、処置なしだね、これは』
『だから、何がだ?』
『はいはい、惚けたかったらそうしてろよ。但し、灰をそこらに散らかさない事』
『……………解った』
 紫煙と共に思い浮かぶのは、何だかんだと文句を言いつつも灰皿を新しいもの
と交換してくれる優しさと、苦笑い。


『珈琲淹れたぞ』
『ああ……うん』
『………』
『………』
『ハル?』
『うん?』
『好い天気だな』
『ああ……うん』
『………』
『………』
『曇ってきたぞ』
『ああ……うん』
『………』
『………』
『おい、オタコン! お前さん、何も聞いてないだろう!?』
『ああ……うん』
『………………』
 一旦集中し始めると、見ている方が不安になる程、周囲を構いつけなくなる。
納得がいくまでは一切作業の手を緩めない、そんなところも酷く気に入っていた。


 不意に押し寄せる、他愛もない風景。
「………っ」
 鋭く息を呑み、激しい痛みをやり過ごす。
 勿論、到底全てを誤魔化し切れるものではないが。
 小さく嘲笑する。
『今、敵兵が俺を襲いにきたら、そいつは楽な思いをするだろうな……』
 最後に一吸いして、俺は既に山盛りになった灰皿へ煙草を押しつけた――


 お前のいない夜。
 皓々と耀き渡る蒼褪めた月の光だけが、俺のさまを見届ける。
 ――相棒を失い、徐々に狂っていく男の滑稽な姿を。





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