Bloddy Dreams

 初めて見えた主は、恐ろしく華奢で小柄だった。
 稚さの残る、か細い身体。それへ多くの怪我を負い、それでも双瞳は絶望を
認めまいとするように強い光を放っていた。
 乱れた長い黄金の髪を整えもせぬまま、我が誓いをまっすぐに見据えた
あの潔い輝き。
 ――私は生涯忘れなかった。
 あれから季節は幾度も巡り過ぎたが、長じても華奢なままの双肩に、彼女は
多くの者の未来を預けられている。今も厳しい追跡行から戻ったところだ。
 この私でさえ、若干の精神的疲労を覚えた追跡だった。ただ人の主が疲れて
いない訳はない。力で拉げば、何の苦もなく組み伏せられそうな四肢のどこに、
あのような強さが隠されているのか……酷く不思議に思うこともある。
 だが、流石に殲滅戦にまで同行すると聞いた時には、やめておけと言おうか
暫く迷った。実際、執事などは厳しい口調で止めたと聞く。


 あとは頭脳が出てこずとも、手足だけで充分に片がつく。だから主殿は先に
お帰りになるが宜しかろう。


 その陳腐さに、口にする気をなくした。
 我が主が、たとえ既に結末の解っている三文芝居だとて、終幕を見ずに席を
立つことなどあり得ない。彼女が一旦こうと決めたら、生半可なことでは意見
を翻さないのは良く知っている。
『なるべく早く片をつけるか……』
 それとも、正確さを期すか。
 数時間前に言葉を交わした時の、主の顔色の尋常ならざる蒼さに逡巡したが、
結局余計な手間をかけさせぬ方を選択する。
「さぁ早く来い、なりそこない共よ」
 闇の中に深く身を沈めながら、私はその時がくるのをじっと待った。


 人としての意識も留めず、ただ闇雲に躍りかかってくる出来損ない達など、
この私の敵ではない。連携も何もあったものではなく、ただ個々で好き勝手に
飛びかかってくるのを、射撃のいい的だと次々に撃ち落とす。
 人にはおよそ不可能な早さで引き金を引けば、真正面から銀の弾を喰らった
哀れなモノ達は次々に吹き飛び、ばらばらになっていく。余りに簡単過ぎて、
いっそ拍子抜けする程に。
『つまらぬ……』
 一瞬、先刻の自戒も忘れて血色の夢に沈みそうになったが、主の蒼白い顔を
思い出すことで踏み止まる。
 このようなもの達の血肉など、喰らうまでもない。
 あっさり片付けたあと、万が一にも復活しないよう特に念入りに心臓を破壊
しておいた。
 時の移るのが惜しい。私は空間を捻ると、直接主の前に参上した。
 一瞬遅れて私の存在に気付いた主がを上げる。やはり、酷く顔色が悪い。
「……殲滅完了だ」
「御苦労だった」
 血臭が纏いついていたのか、主の眉根が僅かに寄せられる。
 僅かに立ち位置を変えたのに気付かぬまま、彼女は控える部下に撤収の合図
を出した。
 そう、それでいい。組織の長は黙って部下の傅きを受けるものだ。
 命令が浸透していくのを確認し、ゆっくりと歩き出すその後ろ姿は、やはり
いつもより覇気がない。
 通常なら仕事の完了を伝えたあとはさっさと引っ込むのだが――ましてこの
時間ならとうに柩に入っていてもおかしくない――今日は立ち去り難かった。
「我が主殿に於かれては、些かお疲れの様子」
 思わずそんな言葉までかけてしまう程、その時の主は消え入りそうに気配が
薄かったのだ。
 何のつもりだ、というような厳しい視線が飛んでくる。
 己でもそう思う。今日の私はどこかおかしいのだ。
「主殿」
 足許を見誤ったのか、彼女の上体が僅かに崩れた。
 咄嗟に手を差し伸べる。
「……構うな」
 しかし、彼女はその手に縋るのを潔しとはしなかった。
 相変わらず情の強いことだ。
「今日はもう、頼む仕事はない。お前の方こそ早く帰って休め」
 だが、我が主よ、解っているのか。その言い回しでは、私の身を案じている
ようにしか聞こえないことに。
 薄く刻んだ笑みをどういう意味に取ったのか、主の眉根が更に寄せられた。
 このまま言葉遊びを楽しみたい気もするが、余りに揶揄いが過ぎれば、早晩
主の獅子吼を聞くことにもなりかねない。それは、今の主の体力からいっても
すこぶる宜しくないだろう。
『一旦、引き退いておくか』
 私はいつも通り一礼すると、主の前から辞去した。
 無論、人の目には見えない空間に渡っただけで、完全に主の傍から離れた訳
ではない。こうでもせねば強情な主のこと、いつまでたっても帰りの馬車には
乗らないだろう。
 闇に同化したまま主の動きを目で追えば、やはり相当に辛かったのだろう、
それでも周囲に人のいないのを確認して大きく苦しげに息をついている。
 流石によろばい歩くことまでは意地でもしないようにしているらしいが、私
に言わせればそれも時間の問題だ。何とか辿り着いた馬車の扉を御者に開けて
貰い、我が主は表面上は何事もなく、実際は疲労の余りくずおれるようにして
座席に身を沈めた。
 軽い振動と共に馬車が走り出し、案の定、半ば意識のない華奢な身体は横様
に倒れかけた。
 主の頭をぶつけさせる訳にはいかない。私は闇を纏うのをやめ、馬車の中に
出現した。
 腕の中に落ちてきた身体は、やはり呆れる程に細かった。


 屋敷に到着し、恭しく扉を開いた御者は中の様子を認識するなり、目の玉が
飛び出る程両目を見開いた。動きの止まった御者を訝しみ、出迎えに出ていた
執事も、一瞥するなり事態を正確に把握した。
「私室の方へ」
 この場には、大騒ぎするような愚か者はいない。私は意識のない主の身体を
抱いたまま馬車を降り、彼女の部屋まで‘飛んだ’。
 あとから医師を引き連れた執事が、急ぎ追ってくる。
「おいたわしい」
「あれ程お止めしたのに」
『おいたわしいなどと益体もないことを喋っている暇があるなら、命ぜられる
前に自ら動いたらどうだ』
 内向きで働く下男や女中がざわざわと話すのを、一睨みで追い払う。
 この屋敷で働いている者の全てが、真に私の存在を知っている訳ではない。
 まして、今は特に気配を殺している訳ではない。ただの人間には、良く面を
向ける能わざる鬼気が押し寄せてくるように感じるだろう。
 寝台が病人を介護するのにいいように慌ただしく整えられると、私はずっと
抱えたままだった主のぐったりとした身体をそっと下ろした。
 一旦、医師の手に彼女を委ねたものの、私は休むつもりは毛頭なかった。
 自らも終幕を見ずして観客席を立つのは好きではないし、寧ろ傍観者の立場
より出演者である方を望む。
 医師の見立ては予想通り、過労による体力低下からくる風邪、だった。
「お熱が高うございますので、熱冷ましを処方致しました。汗がたくさん出る
ようならお着替えの方も」
 医師からの諸注意を細かく承っている執事を横目に片頬を歪めてみせれば、
彼も同意とばかりに軽く溜息をついた。
「まぁ、部下の前で醜態を曝さぬよう、気を張るのも解らないではないが」
 寝室に主一人を残し、続きの間で我らは顔を見合わせた。
「休め、といっても聞かぬのだからな……」
 半ば独り言のように呟いたものだが、それには彼も全く同感だったと見え、
更に深い溜息をついていた。
 煖炉に火を入れさせ、布を余分に用意し、水差しや氷水などを用意させる。
 とにかく、絶対安静を申し渡されたこともあり、主の私室には何人たりとも
近寄ることまかりならぬと、執事は人払いを命じた。
 無論、その中に我ら二人は含まれていない。
「ここは私が見ておりますので、貴方もどうぞお休みに」
 指示を出しながらも、彼は私の方へも気がかりな視線を送って寄越した。
 確かに、普段ならとうに柩に納まっている時刻を大分過ぎているが。
 愚かな。
 この私が、これしきのことで疲労困憊するとでも。
 鼻で笑ってやれば、執事もそれ以上は余計なことは言わず、黙したまま私に
あとを宜しくと頭を下げ、自分は表向きの仕事を捌くために戻っていった。
 途端に静寂が降りた。
 執事も立ち居振る舞いは人離れしていたが、どうしても生きている者の気配
までは殺せない。意識するとしないとに関わらず呼吸音や心臓の鼓動、血流の
音まで当たり前に聴こえる私にとって、真の静寂は元より無縁のものだ。今は
我が主の苦しげな呼吸と若干乱れた鼓動が、聴覚を小さくくすぐっている。
 普段、執務室には足繁く通っていたのだが、主の私室には殆ど入ったことは
なかった。
 外聞を憚った訳ではない。その気になれば誰に見咎められることなく簡単に
部屋を訪なうことのできる私にとって、扉や壁などなきに等しい。その訪れを
押し止めることは、私以外の誰にもできない。
 だが、それ故にこそ、主が心から孤独を求めた時を邪魔する訳にはいかない
とも思っていた。
 いつどこにいても、我が気配がその身を取り囲んでいることに、脆弱な人は
耐えられない。それは人とそうでないものとの厳然たる差だ。勿論、我が主も
例外ではない。
 たとえどれ程気丈にしていても、ふとした折に肩から力を抜きたくなること
もあろう。まして、弱くなっている姿を見られるのを我が主は好しとしない。
乞われれば傍にいるのも吝かではないが、呼ばれもしないのに身辺を騒がせる
のは我が本意ではない――本意ではないのだが。
 一度は閉じた寝室への扉を、私は静かに開いた。
「主殿」
 返答はない。
 主は先刻と同じ蒼白い面を僅かに傾けたまま、熱に苛まされる夢の中にいた。
 ゆっくりと、気配なく近寄る。主の華奢な身体に比して余りに巨大な寝台は、
出逢った頃の彼女の頑是なさを思い出させた。
「………」
 主は心弱き者ではない。
 この程度で気力を失うような、脆弱な心の持主ではない。
『だから、間違ってもこのまま儚くなるようなことはない――』
 医者もいったではないか。風邪だと。
 死というものに誰よりも近しく親しみながら、情けないことに私は今、その
暗渠に戦いていた。それも己の終焉ではなく、主とはいえ一人の人間の生命の
行く末に。
 辛そうに身動いだ拍子に額に置かれていた布がずり落ち、熱に火照った面が
すっかり現われた。
 私は更に身を近寄せ、その顔を静かに覗き込んだ。閉じられた目蓋が僅かに
震えたが、意識は戻りそうになかった。
 やつれてはいても、その面差しは変わらず硬質の美しさを保っていた。
『我が唯一の主よ……』
 今ひとたび、その瞳に我が姿を映してくれ。
 滑らかな額は高熱に汗ばんでいた。元通りに布を戻そうとして、指先が僅か
主の熱に燃える頬に触れる。
 無表情に、実際はその熱さに些か動揺しながら指を引けば。
「――っ」
 細い指が力なく、しかし、引き止めようという明確な意志を持って我が手の
中にあった。
 私は驚きに身を固くした。恐らく反射的なものなのだろうが、意識のある時
にはあり得ない甘えるような仕種を見せた主は、手を握ったまま微笑んだ。


 ――乞われれば傍にいるのも吝かではない。


 目が醒めたらどういう反応をするか、今から楽しみだ。
 私は主の目が醒めるのを待つことにした。







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